はじめに
東京の上野恩賜公園に行ったことがある人はいますか?
公園の緑の中に、着物を着て、かわいいワンちゃんを連れた大きな男の人の銅像が堂々と立っています。「あのどっしりとしたおじさん、一体だれだろう?」と不思議に思ったことがある人も多いのではないでしょうか。
その人物こそ、江戸時代から明治時代へと日本が生まれ変わる大激動の時代に、日本中を大きく動かした大英雄、西郷隆盛です!
お相撲さんのように大きな体と怪力を持っていた西郷さん。でも、彼が日本中の人たちから今も深く愛されている一番の理由は、力持ちだったからではありません。
誰よりも困っている人を放っておけない「あたたかい優しさ」と、命がけで平和を守ろうとした「大きな心」を持っていたからです。
今回は、西郷隆盛がどんな人物だったのか、どうやって大戦争からたくさんの命を救ったのか、そのかっこいい人生のひみつを一緒に見ていきましょう!
上野公園の大きな銅像、俺も見たことあるぞ!ワンちゃんを連れていて、なんだか親しみやすいよな!
ふふ、そうね!でも、あの西郷隆盛は、日本の歴史をガラリと変えたすごい英雄なのよ。どんな大活躍をしたのか、一緒に確かめてみましょう!
体重100キロ超の力持ち!?西郷隆盛ってどんな人?
西郷隆盛は、今の鹿児島県にあたる「薩摩藩」で生まれました。
子どもの頃の名前は「小吉」といい、小さい頃から腕相撲が誰よりも強く、近所のお相撲大会でも負け知らずのわんぱく少年でした。
大人になった西郷さんの体格は、当時の人々をアッとおどろかせるものでした。
- 身長:約180センチ
- 体重:なんと100キロ以上!
当時の成人男性の平均身長は約155センチ前後でした。つまり、西郷さんはまわりの大人たちよりも頭ひとつ分、25センチ以上も飛び抜けて背が高かったのです!現代で言えば、190センチや2メートルを超える大型プロアスリートが目の前に現れたような迫力です。
しかし、西郷さんはその強大な力で威張るようなことは絶対にしませんでした。むしろ性格はとことん温厚で、お腹をすかせた人や泣いている子どもを見ると放っておけませんでした。
自分の着ている服を寒そうにしている人にあげてしまったり、お腹をすかせた野良犬にご飯を分け与えたり、近所の子どもたちを集めて相撲や勉強を教えて一緒に笑い転げたりしていました。
誰にでも分け隔てなく接する優しい人柄から、みんなから親しみを込めて「西郷どん」と呼ばれ、薩摩中の人たちから大人気だったのです。
西郷どん(西郷隆盛)のびっくりプロフィール
身長約180cm・体重100kg超え(当時の平均より約25cmも大きい!)
相撲、読書、困っている人を助けること、犬とお散歩すること
豚肉料理や甘いお菓子(実は太りやすい体質を気にしてダイエットもしていた!)
親しみを込めて「西郷どん」と呼ばれていた!
当時の平均より25センチも大きいなんて、今のサッカー界なら巨人の大型ゴールキーパーみたいでめちゃくちゃ頼もしいよな!
ええ!しかも、その大きな体と力強さを、威張るためじゃなくて困っている人を守るために使っていたところが、本当に素敵よね。
▲ 西郷隆盛の肖像画(出典: Wikimedia Commons)
戦わずに江戸の町を救った!?「江戸城無血開城」の奇跡
西郷隆盛の人生の中で、日本中を感動させ、歴史の教科書にも必ず登場する最大の功績が「江戸城無血開城」です。
1868年、日本は260年以上も続いた「江戸幕府(徳川将軍の政治)」が終わり、天皇を中心とする新しい国づくり(明治維新)が始まろうとする大激動の真っ只中にありました。
日本を新しく生まれ変わらせたい「新政府軍(明治政府)」と、これまでの幕府を守りたい「旧幕府軍」の間で激しい争いが起こり、新政府軍の軍隊を率いる大リーダーが西郷隆盛でした。
新政府軍は、徳川幕府の本拠地である江戸城(現在の皇居)を取り囲み、一気に総攻撃を仕掛けようとしていました。
もし江戸の町で大戦争が始まっていたら、どうなっていたでしょうか? 大砲の弾が飛び交い、町中に火の手が上がり、江戸の町に暮らしていた100万人もの罪のない町民や子どもたちが巻き込まれ、数え切れないほどの尊い命が失われていたはずです。
そこで、大惨事を防ぐために命がけで西郷隆盛のもとへ直談判に訪れた人物がいました。旧幕府軍の代表である勝海舟です。
ふたりは江戸の屋敷で、たったふたりだけでひざを突き合わせ、日本の未来をかけた真剣な話し合いを行いました。
勝海舟は「これ以上、日本人同士で血を流し合って江戸を燃やしてしまえば、日本という国そのものがボロボロになり、外国に侵略されてしまいます」と必死に訴えました。
西郷隆盛は、その言葉をじっと真剣に聞き届けると、大きくうなずいてこう決断しました。 「わかりました。無駄な戦いはやめましょう。私が命にかえても政府の仲間たちを説得します」
大砲や
鉄砲の
炎で、
江戸の
町が
火の
海になっていた!
100
万人もの
罪のない
町民や
子どもたちの
命が
失われた!
日本中が
傷つき、
外国から
攻め
込まれる
危険があった!
1
発の
銃弾も
撃たずに、
平和的に
江戸城を
明け
渡した!
100
万人の
町民の
命と、
大切な
江戸の
町を
丸ごと
救った!
日本人同士の
無駄な
戦いを
止め、
新しい
時代への
第一歩となった!
こうして1868年5月、一発の銃弾も撃たず、一滴の血も流すことなく、平和的に江戸城は明け渡されました。圧倒的に有利な立場にありながら、「罪のない人々の命を救うこと」を最優先にした西郷隆盛の決断は、今も世界中で称賛されています。
勝てる力があったのに、あえて戦わずに話し合いで解決するなんて、本当のかっこよさってこういうことだよな!
本当にそうね。お互いを信じて100万人もの命を守り抜いた西郷さんと勝海舟の勇気には、深く感動しちゃうわ。
座右の銘「敬天愛人」と上野公園の銅像のひみつ
西郷隆盛が一生を通じて自分の心に刻み、大切にしていた言葉(座右の銘)があります。それが「敬天愛人」です。
- 敬天:天(自然の神様や、人として正しい道)を敬うこと。
- 愛人:すべての人をあたたかい心で愛し、思いやること。
西郷さんは、こう教えています。 「人間を相手にするのではなく、天(正しい道)を相手にしなさい。人はごまかせても、天をごまかすことはできない。だからこそ、自分には厳しく正直に生き、他人にはどこまでも優しく親切にしなさい」
この教えの通り、西郷さんはどんなに偉くなっても贅沢をせず、質素な暮らしを続けました。
その後、明治政府の中で政治の進め方をめぐって意見が分かれた西郷さんは、あっさりと高い地位を捨てて故郷の鹿児島へ帰ります。そして最後は、行き場を失った薩摩の若い武士たちを見捨てることができず、仲間たちのリーダーとして政府軍と戦う「西南戦争」という悲しい戦いの末に命を落とすことになります。
しかし、西郷さんが亡くなったあとも、日本中の人々は西郷さんの誠実で優しい心を決して忘れませんでした。
明治時代のおわり、東京の上野公園に西郷さんの銅像が建てられることになりました。でも、ここで不思議に思いませんか?
「歴史の教科書に出てくる大将なのに、どうして立派な軍服ではなく、普段着の着物姿で犬を連れているの?」
実は、西郷さんは堅苦しい軍服や偉そうな肩書きが大嫌いでした。普段から涼しい着物を着て、大好きな愛犬たちと一緒に山や野原を元気に散歩するのが何よりも大好きな人だったのです。
Q. 銅像の犬の名前は何だったの?
A. 西郷さんが一番可愛がっていた薩摩犬の「ツン」という名前のメス犬だよ!西郷さんは大の愛犬家で、一度に何匹も犬を飼っていたんだ。
人々は「偉ぶった軍人の姿」ではなく、「誰からも親しまれた、あたたかくて優しい西郷どんのありのままの姿」を残したいと願い、あの浴衣姿とお散歩中の銅像を建てたのです。
「敬天愛人」ってかっこいい言葉だな!自分に厳しく、他人に優しいなんて、サッカーのチーム作りにも通じるぜ!
ふふ、そうね!上野公園の銅像が軍服じゃなくて犬とのお散歩姿なのも、みんなに愛された優しいお人柄そのものよね。
▲ 上野恩賜公園の西郷隆盛と愛犬ツンの銅像(出典: Wikimedia Commons)
まとめ
📝 今日のまとめノート
1
体重100キロ超の怪力&心優しい西郷どん:大柄で相撲も無敵だったけれど、困っている人を誰よりも助ける温かい性格だった!
2
江戸城無血開城の奇跡:勝海舟との話し合いによって、一滴の血も流さずに江戸の町と100万人の命を救った!
3
座右の銘「敬天愛人」:天に恥じない正しさで自分を律し、すべての人に深い愛情と思いやりを注ぎ続けた!
4
上野公園の銅像:権力や偉そうな態度を嫌い、庶民や犬を愛した西郷さんらしさを表すために普段着姿で作られた!
🖍️ ✏️
西郷隆盛の本当の強さは、怪力だけじゃなくて「周りの人を大切にする優しさ」だったんだな!俺も強くて優しいキャプテンを目指すぞ!
ええ、素晴らしい目標ね!強い力を持つ人ほど、人を思いやる心が大切だということを、西郷どんが教えてくれたわね。
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