小学生でもわかる!「ウォルト・ディズニー」

ウォルト・ディズニー

はじめに

みんなが大好きなミッキーマウスや、楽しいアトラクションがいっぱいのディズニーランド!家族や友達と遊びに行って、ワクワクしたことがある人も多いよね。

でも、この世界一有名な夢の国を作った「ウォルト・ディズニー」って、いったいどんな人だったか知っているかな?

実は、最初から何でもうまくいった大金持ちの天才……では全然ありませんでした。

子どもの頃はとても貧しく、大人になってアニメの会社を作ってからも、何度も会社がつぶれそうになったり、信じていた仲間に裏切られたりと、大ピンチの連続だったんだ!

そんなウォルトが、どうやってたくさんの失敗を乗り越えて、世界中の人たちに笑顔と感動を届ける大スターを生み出したのか?そのあきらめない心のひみつを、一緒にのぞいてみよう!

はると
はると
俺、ディズニーランドのアトラクションが大好きなんだけど、作った人のことって全然知らなかったな!どんな人だったのか気になるぜ!
ひまり
ひまり
ふふ、ウォルトの人生を知ると、いつものキャラクターたちがもっと大好きになるわよ。一緒に見てみましょう!

ウォルト・ディズニーってどんな人?絵が大好きな少年

ウォルト・ディズニー(本名:ウォルト・イライアス・ディズニー)は、今から120年以上前の1901年に、アメリカのシカゴという街で生まれました。

ウォルトの家は決して裕福ではなく、子どもの頃からお父さんの仕事を手伝って、朝早くから新聞配達をしたり、農場で働いたりと大忙し。冬の寒い朝には、凍える手で重い新聞を配り歩くなど、とても苦労の多い毎日を過ごしていました。

そんなウォルトにとって、何よりの楽しみが「絵を描くこと」でした。

ノートや画用紙を買うお金がなかったときは、なんと家の白い壁やトイレットペーパーに絵を描いてしまい、お父さんに怒られたというビックリするような思い出もあるほどです。

ウォルトは農場にいるブタやウマ、ニワトリ、イヌなどの動物たちをじーっと観察して、紙の上で今にも動き出しそうないきいきとした絵を描くのが大得意でした。

ある日、近所のお医者さんが、ウォルトの描いたウマの絵をとても気に入ってくれて、お小遣いをくれたことがありました。

「自分の描いた絵を見て、誰かがこんなに喜んでくれた!」

このときの飛び上がるような感動こそが、のちに世界中を笑顔にするウォルト・ディズニーの原点になったのです。やがて大きくなったウォルトは、「動く絵=アニメーション」という最新の技術に出合い、「これこそが自分の人生をかける仕事だ!」と夢中になっていきました。

はると
はると
壁に絵を描いちゃうなんて怒られそうだけど、それだけ絵を描くのが大好きだったんだな!自分の絵で人が喜んでくれたら、俺だって嬉しくてたまらないと思うぜ!
ひまり
ひまり
ええ、誰かを笑顔にしたいという純粋な気持ちが、ウォルトのすべての始まりだったのね。子どもの頃の体験って本当に大切だわ。
ウォルト・ディズニーの実物写真
▲ ウォルト・ディズニーの実物写真(出典: Wikimedia Commons)

大ピンチから生まれた大スター!ミッキーマウスのひみつ

20代になったウォルトは、優しいお兄さんのロイと力を合わせて、小さなアニメ制作会社を立ち上げました。

そこでウォルトが生み出したのが、「オズワルド」という陽気なウサギのキャラクターです。オズワルドのアニメは大ヒットを記録し、映画館はお客さんで超満員!ウォルトの会社は一気に人気スタジオになりました。

ところが、ここでウォルトの人生を大きく揺るがす大事件が起きてしまいます。

アニメを映画館に届けていたプロデューサーが、ずるい大人の手口を使って、「もっと安いお金でアニメを作れ。嫌ならオズワルドの権利をすべて奪い取るぞ」と脅してきたのです。

さらにショックなことに、ウォルトが家族のように大切にしてきたスタジオのアニメーター仲間たちも、裏でお金を積まれてライバル会社に引き抜かれていました。

契約のルールを悪用されたウォルトは、愛するキャラクターのオズワルドも、信じていた仲間たちも、たった一日ですべて失ってしまったのです。

普通なら、ごはんも喉を通らないほど絶望して、すべてをあきらめてしまってもおかしくない大ピンチでした。

しかし、ウォルトは違いました。交渉に失敗したニューヨークからの帰り道、ガタゴトと揺れる列車の中で、ウォルトは膝の上にスケッチブックを広げたのです。

「オズワルドを奪われたのなら、オズワルドよりも何倍も魅力的な、世界一新しいキャラクターを自分の手で作り出せばいいじゃないか!」

落ち込む代わりにペンを走らせたウォルトの頭に、ある小さな動物の姿がひらめきました。それが、大きな丸い耳と笑顔を持ったネズミの男の子「ミッキーマウス」だったのです!

Q. なんでネズミを主人公にしたの?
A. ウォルトが若い頃、お金がなくて屋根裏部屋で暮らしていたとき、部屋に迷い込んできた野生のネズミにパンくずをあげて仲良く遊んでいた思い出があったからなんだよ!ピンチのときにその思い出がひらめきに変わったんだね。

ウォルトはさらに、ただの新しいキャラクターを作るだけでなく、映画の世界に革命を起こしました。当時、映画は音が聞こえない「無声映画(サイレント)」が普通でしたが、ウォルトは「絵の動きと音(音楽・声・効果音)が完全にぴったり合った世界初のアニメーション『蒸気船ウィリー』」を作り上げたのです!

1928年に公開されたこの映画で、ミッキーマウスがご機嫌に口笛を吹き、鍋やフライパンを叩いてリズムを奏でる姿に、世界中の人々が大熱狂!ウォルトは見事な大逆転劇を果たし、世界的な大スターを生み出しました。

はると
はると
全部奪われた大ピンチの帰りの電車で、落ち込むどころか新しいキャラクターを考えちゃうなんて、ウォルトのメンタル強すぎだろ!
ひまり
ひまり
ふふ、ピンチを最高のチャンスに変える力を持っていたのね。屋根裏部屋でネズミと仲良くなった思い出を活かすなんて、本当にロマンチックだわ。
列車の車内でネズミのキャラクターを描くウォルト

「絶対失敗する」と言われた大挑戦!長編アニメ『白雪姫』

ミッキーマウスの成功によって、ウォルトの会社は大きく成長しました。しかし、ウォルトはひとつの成功に満足して立ち止まるような人ではありませんでした。

次にウォルトが挑んだのは、当時の常識を根底からひっくり返す前代未聞の大挑戦でした。

当時のアニメーションといえば、映画が始まる前の「おまけ」として上映される、3分から5分程度の短いドタバタお笑いギャグが当たり前でした。「アニメは大人が真剣に見るものじゃない」と誰もが思い込んでいたのです。

そんな時代に、ウォルトは驚きの計画を発表しました。

「人間の大人が最初から最後まで涙を流して感動する、1時間半(83分)の長編フルカラーアニメ映画『白雪姫』を作るぞ!」

これを聞いた映画業界の関係者や新聞記者たちは、口を揃えて大反対しました。

「そんな長いアニメを見たら、みんな目が疲れて途中で席を立つに決まっている!」 「アニメ映画に大金をかけるなんて狂気の沙汰だ。ディズニーの会社は絶対に倒産する!」

人々はこの計画を「ディズニーの狂気(おかしな思いつき)」と呼び、ウォルトの失敗を確信していました。ウォルトを一番近くで支えていたお兄さんのロイや、最愛の奥さんでさえ「頼むからやめてくれ」と心配したほどです。

当時の常識(短編お笑いアニメ)
映画のおまけとして流れる3〜5分の短い映像
ドタバタギャグばかりで大人は真剣に見ない
「長いアニメなんて誰も見ない」とバカにされていた
ウォルトの挑戦(長編映画『白雪姫』)
83分間、大人も子どもも釘付けになる大作
美しいフルカラーと本物の人間のようになめらかな動き
観客が心を震わせて涙を流す本格ストーリー

しかし、ウォルトの情熱の炎は消えませんでした。

スタッフたちに本物の人間の動きや動物の骨格を観察させ、光と影のつけ方を徹底的に研究させました。制作費が足りなくなると、ウォルトは自分の家を担保に入れて銀行から借金をし、まさに命がけで映画を作り続けました。

そして1937年、4年もの歳月と莫大な費用をかけて完成した『白雪姫』が公開されると、映画館は奇跡のような光景に包まれました。

映画が終わった瞬間、劇場の明かりがつくと、大人も子どもも涙を流しながら立ち上がり、割れんばかりの大拍手を送ったのです。

『白雪姫』は世界中で記録的な大ヒットとなり、ウォルトは「アニメーションを世界最高峰の芸術に引き上げた天才」として、歴史にその名を刻みました。

はると
はると
周りのみんなから「絶対に無理だ!」って笑われても、自分を信じて家まで賭けて作り切るなんて、めちゃくちゃ熱い生き方だな!かっこいいぜ!
ひまり
ひまり
「アニメは子どもだましのお笑い」という世界の常識を、ウォルトの情熱が塗り替えてしまったのね。本気で信じる力って、本当にすごいわ。
情熱にあふれるアニメーション制作スタジオの風景

家族みんなで楽しめる場所を!ディズニーランドの誕生

映画の世界で頂点に立ったウォルトには、心の中にずっと温めていた「次なる夢」がありました。

ある土曜日、ウォルトは幼い2人の娘たちを連れて、近所の遊園地に遊びに行きました。

娘たちが楽しそうにメリーゴーラウンドに乗っている間、ウォルトはふと周りのベンチに目をやりました。そこには、退屈そうにあくびをしたり、ベンチに座ってピーナッツの殻を地面に散らかしたりしている、親たちの姿がありました。

「なぜ、親たちは子どもが遊ぶのを退屈そうに待つだけなんだろう?」 「子どもだけが遊ぶ場所でもなく、大人が我慢する場所でもない……大人も子どもも、家族みんなが一緒になって心から楽しめる、清潔で美しい夢の場所を作れないだろうか?」

この父親としての素朴な願いこそが、世界初のテーマパーク「ディズニーランド」の種火となったのです。

ここでもまた、周囲の人々は「映画会社が遊園地を作るなんて失敗する」「掃除が行き届くはずがない」と反対の嵐でした。しかし、ウォルトは映画のスクリーンを飛び出し、誰もが物語の主人公になれる立体的な夢の世界を作るために奔走しました。

そして1955年、アメリカのカリフォルニア州アナハイムに、世界で初めてのディズニーランドが堂々とオープンしました!

開園の日、世界中にテレビ中継されたスピーチで、ウォルトは今も語り継がれる伝説の名言を残しました。

「ディズニーランドは永遠に完成しない。世界に想像力がある限り、成長し続けるだろう。」

オープンして終わりではなく、時代が変わっても、訪れるたびに新しい夢とワクワクを届け続けたい。そんなウォルトのどこまでも尽きない情熱が、この言葉にぎゅっと込められているのです。

はると
はると
お父さんやお母さんも一緒に楽しめる場所を作りたいっていう優しい気持ちから、ディズニーランドが生まれたんだな!「永遠に完成しない」って言葉も最高にワクワクするぜ!
ひまり
ひまり
ええ、訪れるたびに新しいアトラクションやショーに出会えるのは、ウォルトのこの想いが今も受け継がれているからなのね。
カリフォルニア・ディズニーランドのシンボル「眠れる森の美女の城」の実物写真
▲ カリフォルニア・ディズニーランドのシンボル「眠れる森の美女の城」(出典: Wikimedia Commons)

まとめ

世界中で愛されるウォルト・ディズニーの物語、いかがでしたか?

いつも笑顔で夢を語るウォルトの人生は、実は裏切りや借金、大反対など、普通の人なら逃げ出したくなるような困難の連続でした。

でもウォルトは、どんなに大きな壁にぶつかっても、決して下を向くことはありませんでした。「失敗は、次に新しいことを始めるための最高のレッスンだ」と考え、前を向いて歩き続けたのです。

📝 今日のまとめノート
1 大切なキャラクターを奪われる大ピンチから、あきらめずに「ミッキーマウス」を生み出した!
2 「絶対に失敗する」と大反対された世界初の長編アニメ『白雪姫』を、情熱と努力で大ヒットさせた!
3 「大人も子どもも一緒に楽しめる場所」を目指して、永遠に進化し続けるディズニーランドを作った!
🖍️ ✏️

もし君が、勉強やスポーツ、将来の夢で「うまくいかないな」「失敗しちゃったな」と落ち込むことがあったら、ぜひウォルト・ディズニーのことを思い出してみてください。

あきらめない心と豊かな想像力さえあれば、どんなピンチからだって、君だけの素晴らしい夢を生み出すことができるはずです!

はると
はると
俺もサッカーの練習でミスしたり試合で負けたりしても、ウォルトみたいに諦めないで次のチャンスを掴みに行くぞ!
ひまり
ひまり
ふふ、その意気よ、はると!どんな失敗も、素敵な未来へ繋がる大切なステップなのよね。
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