小学生でもわかる!「始皇帝(しこうてい)」

始皇帝

はじめに

大人気漫画の『キングダム』などで名前を聞いたことがある人も多いかもしれません。今から約2200年前、広大な中国大陸にはいくつもの国があって、何百年ものあいだ激しい戦争をくり広げていました。

そんな大混乱の時代に現れ、バラバラだったすべての国をまとめ上げ、歴史上で「初めて中国を一つにした男」がいます。その人物こそが「始皇帝」です!

教科書では「万里の長城を作った人」「反対する人を処罰した怖い王様」といったイメージで紹介されることもあります。しかし実は、私たちが今使っている漢字の形を整えたり、お金のデザインを統一したり、道路を走る馬車の幅までそろえた、天才的な「ルールづくりの達人」でもありました。

しかも、毎日何十キロもの重い書類を一人で読み続ける、超がつくほどの「猛烈な努力家」だったのです!

今回は、謎に包まれた始皇帝の本当のすごさと意外な素顔について、小学生のみなさんにもわかりやすく解説します!

はると
はると
キングダムってすげー人気だよな!でも、始皇帝って本当に中国全部を一人でまとめちゃったのか?サッカーで言えば、全国の強豪チームを全部一人で倒したキャプテンみたいなもんだよな!
ひまり
ひまり
ふふ、スケールが大きすぎる例えね。でも本当にすごいのよ。王様よりも偉い「皇帝」という言葉を初めて作ったのもこの人なんだから。始皇帝がどんな国づくりをしたのか、一緒に見てみましょう!

13歳で王様に!?バラバラだった中国を初めて一つにした男

始皇帝が生まれたころの中国は、「戦国時代」と呼ばれる大戦争の真っ最中でした。

広い中国大陸には、秦、斉、楚、燕、趙、魏、韓という7つの強い国(戦国七雄)があり、お互いに毎日土地や城を奪い合っていたのです。

始皇帝の本名は「嬴政」といいます。彼はなんと、わずか13歳で秦という国の王様に即位しました!13歳といえば、今の小学校6年生や中学校1年生と同じくらいの年齢です。今の私たちと同じ年ごろの少年が、大国のリーダーになったのですから驚きですよね。

若き嬴政は、頭の良い学者や強い将軍たちを次々と味方に引き入れ、国の力をぐんぐん伸ばしていきました。そして戦いに次ぐ戦いを勝ち抜いて、39歳のときに残りの6つの国をすべて打ち倒し、中国全土の統一を成し遂げたのです!何百年も続いた戦争の時代を、ついに終わらせてしまいました。

ここでひとつの疑問が生まれます。「どうして『王様』ではなく『始皇帝』と呼ぶの?」

それまで、それぞれの国のトップはみんな「王」と名乗っていました。しかし嬴政はこう考えました。

「誰もできなかった大統一をやりとげたのだから、今までの王様と同じ肩書きでは物足りない!」

そこで、神話に出てくる神様のような伝説の支配者「三皇」と「五帝」から文字を取り、合体させて「皇帝」という最高ランクの新しい肩書きを作りました。

そして、「俺が歴史上、最初の(始まりの)皇帝だ!」という意味を込めて、自分のことを「始皇帝」と名乗ったのです。

ゲームでたとえると「王様」から「神ランク」への超進化!
これまでのリーダーが普通の「王様(キング)」だとしたら、始皇帝はすべての国をクリアして頂点に立った「グランドマスター」や「神ランク」の特別な肩書きを自分で生み出したようなものです。「一番最初の皇帝」だから始皇帝と呼ばれています!
はると
はると
13歳で王様になって、39歳で中国を全部まとめちゃうなんて強すぎるぜ!しかも「皇帝」って言葉まで自分で作っちゃうなんて、スケールがでっかいよな!
ひまり
ひまり
ふふ、本当にすごい決断力よね。でも、広い国を一つにまとめたあと、どうやって治めるかのほうが何倍も大変だったのよ。始皇帝の本当のすごさはここから始まるの!
若くして皇帝となった始皇帝

文字やお金、車の幅まで!天才的なルール大統一

中国を一つにまとめた始皇帝の前に、大きな問題が立ちはだかりました。何百年も別の国として暮らしていたため、国ごとに言葉(漢字)、使っているお金、長さや重さの単位が完全にバラバラだったのです!

これを今の日本にたとえてみましょう。もしも「東京」と「大阪」と「北海道」で、使っているお金が全然違い、漢字の書き方も通じず、物差しの1センチの長さまで違ったらどうなるでしょうか?お買い物をするのにも両替が必要で、手紙を書いても読んでもらえず、大混乱になってしまいますよね。

そこで始皇帝は、国中のみんなが同じ基準で暮らせるように、驚くべき「全国ルール大統一」を実行しました。

  1. 文字(漢字)の統一:国ごとにバラバラだった漢字の形を整理し、「小篆」という標準の漢字ルールを決めました。これで全国どこへ命令書を出しても、全員が同じ文字を正しく読めるようになりました。私たちが今使っている漢字の形も、このときの整理がもとになっています。
  2. お金(貨幣)の統一:丸い形の真んなかに四角い穴があいた銅のお金「半両銭」を作り、これ以外の古いお金を使うことを禁止しました。穴にひもを通せば大量のお金を束ねて持ち運べる、とても便利な形でした。日本の5円玉や50円玉に穴があいているのも、この始皇帝のお金がルーツです。
  3. 車軸(車輪の幅)の統一:昔の道路は舗装されておらず、馬車の車輪で地面に深い溝ができていました。国ごとに車輪の幅が違うと、よその国の道路に入ったとたんに車輪が溝に引っかかって走れなくなってしまいます。そこで始皇帝は「全国すべての馬車の幅を同じにしなさい!」と命令し、スムーズに物資や軍隊が移動できるようにしました。
  4. 万里の長城の建設:北の草原から攻め込んでくる強い騎馬民族(匈奴)から国を守るため、もともと各国がバラバラに作っていた城壁をつなぎ合わせ、何千キロにもおよぶ巨大な防壁「万里の長城」を作らせました。国の安全を本気で守るための巨大プロジェクトだったのです。
統一前のバラバラな世界
国ごとに漢字が違って手紙が読めない!
お金の種類がバラバラで買い物が大変!
馬車のタイヤ幅が違って道路が通れない!
統一後の便利な社会
全国どこでも同じ漢字でやり取りできる!
穴あきコイン「半両銭」で商売がスムーズ!
車の幅がそろって荷物も人も高速移動!
はると
はると
車の幅までそろえるなんて考えたこともなかったぜ!今の日本で、電車の線路の幅やスマートフォンの充電ケーブルの形をそろえるのと同じくらい便利だな!
ひまり
ひまり
ええ、まさにその通りね!共通のルールを作ることで、みんなが暮らしやすくなって国が一つにまとまるの。始皇帝はとても頭のいいアイデアマンだったのね。
万里の長城

死ぬのが怖かった!?「不老不死」の夢と地下の軍隊・兵馬俑

国を一つにまとめ、絶大な権力と莫大な富を手に入れた始皇帝。怖いものなしに見えた彼ですが、実はたった一つだけ、どうしても勝てない恐ろしい敵がありました。

それは「死」です。

「こんなに苦労して手に入れた最高の国なのに、死んでしまったらすべてを失ってしまう……!」

そう思いつめた始皇帝は、年をとるにつれて「絶対に死なない薬(不老不死の薬)」を真剣に探し始めました。

学者たちの「東の海に浮かぶ神様の島に、不老不死の薬があります!」という言葉を信じ、徐福という人物に船とたくさんの若者たちをあたえて、海を越えて薬を探しに行かせました(この船がたどり着いた先が日本だという伝説が、日本各地に残っています)。しかし、そんな都合のいい薬は見つかりませんでした。

そこで始皇帝は、もうひとつの途方もない作戦を企てます。

「もし死んでしまったとしても、あの世(死後の世界)で皇帝として君臨し続ければいいじゃないか!」

そう考えた始皇帝は、自分が死んだあとに入る巨大なお墓の地下に、本物の軍隊を丸ごと再現した地下帝国を作らせました。それが、世界遺産として有名な「兵馬俑」です!

地下からは、土で作られた本物の人間サイズの兵士や馬の人形が、なんと約8000体も発見されました。

さらに驚くべきことに、この兵士たちの人形は工場で同じ型を使って大量生産したものではありません。顔の形、ヒゲの生え方、髪の結び方、よろいの模様に至るまで、1体1体すべて違う顔をしているのです!

Q. なぜ兵馬俑の顔は1体ずつ全部違うの?
A. 当時の本物の兵士たちを1人ずつモデルにして、職人たちが心を込めて作ったからなんだよ!身長も180センチ前後あって、まるで本物の軍隊が地下で眠っているかのような迫力なんだ。
はると
はると
8000体もいて全員顔が違うってすげーな!死ぬのが怖かったのはちょっと親近感わくけど、地下に本気で軍隊を作っちゃうスケールが凄すぎるぜ!
ひまり
ひまり
ふふ、どんなに偉い皇帝でも、死ぬことへの恐怖には勝てなかったのね。でもそのおかげで、2200年前の兵士たちのリアルな姿が今に残っているんだから、歴史って本当に不思議よね。
地下に眠る兵馬俑の軍隊

実は超努力家!毎日何十キロもの書類を読んだスーパー仕事人

歴史の授業や本では、始皇帝というと「重い税金を取って万里の長城を作らせた」「反対する学者の本を焼き払った(焚書坑儒)」など、冷酷で怖い王様(暴君)として描かれることがよくあります。

たしかに厳しいルールで人々を取り締まった一面もありましたが、始皇帝の素顔をよく調べてみると、「誰よりも真面目に働いた猛烈な努力家」という意外な一面が見えてきます。

始皇帝の時代には、まだ軽くて便利な「紙」が普及していませんでした。では、役所からの報告書や手紙は何に書かれていたのでしょうか?

それは、細長い竹や木の板に墨で文字を書き、ヒモで束ねた「木簡」や「竹簡」でした!木や竹ですから、何通も集まるとものすごい重さになります。

始皇帝は、広い国中の役人たちから送られてくる報告書を、他人に任せず全部自分の目でチェックしていました。その書類の重さは、なんと1日に約30キロ(当時の単位で1石)!

始皇帝は「このノルマを全部読み終わるまでは、絶対に寝ないし休まない!」と自分でルールを決め、夜遅くまで明かりの下で重い竹の束をめくり続けていたのです。

30キロの書類ってどれくらい?
30キロといえば、お米の大きな袋(10キロ)3つ分、あるいは小学校低学年の友達1人分の体重と同じくらいの重さです!毎日それだけの量の竹や木をめくって国の政治を決めていたのですから、とんでもない集中力と体力ですよね。
はると
はると
毎日30キロの書類を読まないと休まないなんて、俺の毎日の宿題の何万倍も大変じゃん!誰よりも一番勉強して働いてたの、始皇帝本人だったんだな!
ひまり
ひまり
そうね。人を厳しく取り締まるだけでなく、自分にも一番厳しかったのね。だからこそ、たった一代で中国をまとめ上げる大事業ができたのかもしれないわ。
大量の公文書を読む始皇帝

まとめ

📝 今日のまとめノート
1 13歳で即位し、戦乱の中国を初めて一つにして「皇帝」を名乗った!
2 文字・お金・車の幅を全国で統一し、万里の長城を築いて文明の基礎を作った!
3 不老不死を夢見て兵馬俑を作ったが、毎日重い書類を読む猛烈な努力家だった!
🖍️ ✏️
はると
はると
始皇帝ってただの怖い王様かと思ってたけど、ルールを整えて国を便利にしたスーパーリーダーだったんだな!俺も今日の宿題、30キロの書類だと思ってやり切ってみせるぜ!
ひまり
ひまり
ふふ、その意気よ、はると!始皇帝のような強い集中力があれば、今日の宿題もあっという間に終わっちゃうはずよ。頑張ってね!
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