小学生でもわかる!「坂本龍馬(さかもとりょうま)」

坂本龍馬

はじめに

今から160年ほど前の日本は、江戸時代の終わりを迎えていました。アメリカから巨大な黒船がやってきて、日本中が「外国に国を奪われてしまうかもしれない!」「これからどうすればいいんだ!?」と大混乱に陥っていた時代です。この激動の時代を「幕末」と呼びます。

もし龍馬がいなかったら、日本はどうなっていたでしょうか?もしかしたら激しい内戦が起きて外国に支配され、今の平和な日本はなかったかもしれないのです!

そんな大ピンチの日本に、誰も思いつかないような自由な発想とすさまじい行動力で登場し、国を大きく動かしたスーパースターがいました。それが坂本龍馬です!

身分の低い武士の家に生まれながら、日本で初めての会社を作り、仲の悪かった大国同士を仲直りさせ、血を流さずに新しい時代への扉を開いた龍馬。なぜ龍馬は今でも日本中の人から愛され、大人気のヒーローとして語り継がれているのでしょうか?そのスゴすぎるアイデアとドラマのような生涯を、わかりやすく解説します!

はると
はると
坂本龍馬って歴史の教科書で見たことあるよ!着物の懐に手を入れて、まっすぐ前を見つめている写真がすごくかっこいいよな!
ひまり
ひまり
ふふ、あの有名な写真ね!龍馬はかっこいいだけじゃなくて、誰もがびっくりするようなアイデアで日本を大きく変えたすごい人なのよ。一緒に龍馬のヒミツを調べてみましょう!

坂本龍馬ってどんな人?自由すぎる発想と行動力!

坂本龍馬は、現在の高知県にあたる「土佐藩」で生まれました。

実は、小さい頃の龍馬は勉強も剣術も苦手で、泣き虫で鼻たれ小僧だったと言われています。塾の勉強についていけずにやめてしまい、周りからは「落ちこぼれ」と思われていました。しかし、優しくてたくましいお姉さんの乙女さんに励まされながら剣術の特訓を重ねると、ぐんぐん才能を開花!10代の終わりには江戸(現在の東京)へ武者修行に出て、師範クラスの腕前にまで成長したのです。

武士なのにピストルと革ブーツ!?新しいもの大好き人間

江戸時代の武士といえば、ちょんまげを結い、着物にハカマを着て、腰に刀を2本差して草履を履くのが絶対の決まりでした。しかし龍馬は、そんな昔からの古いルールにとらわれませんでした。

「これからは刀を振り回す時代じゃない。遠くからでも身を守れる武器が必要だ!」と考えてピストル(拳銃)を持ち歩き、足元には雨の日でもぬかるみを気にせず走り回れる西洋の「革ブーツ」を履いていました。刀の時代にピストルとブーツを身につけた武士なんて、当時の日本では前代未聞です。龍馬は外国の進んだ文化や便利な道具を素直に受け入れ、どんどん自分の生活に取り入れる柔軟な心を持っていたのです。

まるで未来みらいからやってきたタイムトラベラー!
周りの武士たちが「刀こそが武士の魂だ!」と古いしきたりにこだわっていた時代に、龍馬は一人だけ「ピストル」を持ち、「革ブーツ」を履き、「これからは世界とビジネスをする時代だ!」と考えていました。みんなが過去のやり方に縛られている中で、龍馬だけが未来の常識を見つめていたのです!

命がけの決断!ふるさとを飛び出す「脱藩」

当時の日本には「藩」という小さな国のようなまとまりがあり、武士は自分の藩に一生尽くすのが当たり前でした。藩の許可なく勝手に外へ逃げ出す「脱藩」は、見つかれば死刑、家族も重い処罰を受けるという最大の重罪だったのです。

しかし龍馬は、「土佐というひとつの藩のことだけを考えていては、日本全体を守ることはできない!」と決意します。そして28歳のとき、自分の命をかけ、大切な家族と別れて土佐藩を飛び出しました。龍馬の目には、藩という小さな壁を越えた「日本」というひとつの国、そして広い「世界」が見えていたのです。

はると
はると
死刑になるかもしれないのに藩を飛び出すなんて、ものすごい度胸だよな!刀の時代にピストルとブーツを装備するなんて、まるでゲームの主人公みたいでワクワクするよな!
ひまり
ひまり
本当にそうね。でも龍馬は目立ちたかったわけではなくて、「どうすれば日本が世界と対等になれるか」を真剣に考えていたからこそ、古い常識にとらわれずに行動できたのね。
坂本龍馬の実物写真
▲ 坂本龍馬さかもとりょうまの実物写真じつぶつしゃしん(出典しゅってん: Wikimedia Commons)

大事件!犬猿の仲をタッグ結成させた「薩長同盟」

幕末の日本を大きく変えた龍馬の最大の功績が、1866年に結ばれた「薩長同盟」です。

当時、日本で圧倒的な武力と力を持っていたのが、現在の鹿児島県にあたる「薩摩藩」と、山口県にあたる「長州藩」でした。しかし、この2つの藩は顔を合わせれば切り合いが始まるほど、お互いを激しく憎み合っていた「犬猿の仲」だったのです。

なぜ薩摩と長州はケンカばかりしていたの?

薩摩と長州は、かつて京都で激しい戦い(禁門の変など)を繰り広げたライバル同士でした。薩摩藩が幕府と手を組んで長州藩を京都から追い払ったため、長州の人々は「薩摩の裏切り者め!」と怒り狂い、履き物の裏に「薩摩」と書いて毎日踏みつけるほど恨んでいました。

幕府の力が弱まり、日本を守るためには力のある藩が協力しなければならないのに、お互いに意地を張って「あいつらとだけは絶対に手を組まない!」と睨み合っていたのです。

龍馬の神アイデア!「お互いに足りないものを交換しよう」

「薩摩と長州がケンカを続けていたら、幕府を倒すことも、強い日本をつくることもできない……」

そう考えた龍馬は、ふたつの藩が抱えていた「決定的な困りごと」に注目しました。

薩摩藩さつまはん(西郷隆盛さいごうたかもりたち)
外国から最新の鉄砲や軍艦を買うルートを持っていた!
しかし大凶作でお米が深刻に不足し、食べるものに困っていた!
長州藩ちょうしゅうはん(木戸孝允きどたかよしたち)
お米はたくさん余っていたが、幕府に敵とみなされ武器の購入を禁止されていた!
幕府と戦うための最新の鉄砲や大砲がどうしても手に入らなかった!

龍馬はふたりにこう提案しました。

「薩摩藩の名前で外国から最新の鉄砲や軍艦を買い、それを長州藩に届けよう!その代わり、長州藩は余っているお米を薩摩藩に分けてあげればいいんじゃないか?」

この提案はまさにウルトラCの神アイデアでした!長州藩は喉から手が出るほど欲しかった最新兵器が手に入り、薩摩藩はお腹を空かせていた人たちをお米で救うことができたのです。

お互いに助け合って信頼が生まれた両者は、京都でトップ同士(薩摩の西郷隆盛と長州の木戸孝允)が話し合いを行い、ついに手を結ぶ「薩長同盟」を結びました。いがみ合っていた2大パワーを仲直りさせたことで、江戸幕府を終わらせる強力なタッグが誕生したのです。

はると
はると
お互いに足りないものを交換して仲直りさせるなんて、めちゃくちゃ頭いい作戦だな!サッカーでも仲が悪かった選手同士がパスを出し合って最高のチームになるみたいですげーよな!
ひまり
ひまり
ふふ、いい例えね!お互いのプライドを傷つけずに「ふたりとも得をする仕組み」を作ったからこそ、長年の憎しみを乗り越えて協力できたのね。龍馬の仲介役としての才能は本当に天才的だわ。
坂本龍馬の仲介でがっちり手を結ぶ西郷隆盛と木戸孝允

日本初の会社?「海援隊」と新しい国づくりの夢

龍馬の活躍は、政治の仲直りだけにとどまりませんでした。龍馬はなんと、日本で最初の会社とも呼ばれる組織を作ったのです!

貿易で日本を豊かにする「海援隊」

土佐藩を脱藩した龍馬は、幕府で軍艦の責任者をしていた勝海舟に弟子入りし、最新の航海術や世界情勢を学びました。

そして龍馬は長崎で「亀山社中」というグループを結成し、のちに「海援隊」へと発展させました。

海援隊は、船の操縦技術を学んで物資を運ぶ海運業や、外国との貿易を行うチームでした。武士といえば戦うことばかり考えていた時代に、龍馬は「これからの日本は、戦いではなく世界とのビジネス(貿易)で国を豊かにするべきだ!」と考えていたのです。

船に乗って日本中の海を駆け巡り、物資を運んで利益を上げ、そのお金で新しい日本のための活動費を稼ぎ出しました。龍馬は優れた武士であると同時に、時代を先取りしたベンチャー企業のリーダーでもありました。

誰も血を流さない平和的な革命「大政奉還」

薩長同盟ができたことで、武力で幕府を倒す準備は完全に整いました。しかし、龍馬の願いは「戦いでたくさんの日本人が血を流すこと」ではありませんでした。もし日本国内で大戦争が起きれば国がボロボロになり、その隙をついて外国に攻め込まれて植民地にされてしまう危険があったからです。

そこで龍馬は、船の上で新しい国の青写真となる「船中八策」という8つの提案を考え出しました。ここでは、その中でも特に重要だった「3つの大きなポイント」を見てみましょう!

STEP 1 徳川幕府とくがわばくふから朝廷ちょうていへ政治せいじの権利けんりを返かえす(大政奉還たいせいほうかん)
260年以上続いた徳川幕府を戦いで滅ぼすのではなく、徳川将軍が自ら政治の権力を朝廷(天皇)にお返しする。
STEP 2 身分みぶんにとらわれず優秀ゆうしゅうな人材じんざいを集あつめた議会ぎかいをつくる
生まれや身分に関係なく、知恵のある全国の人々が集まって話し合いで法律やルールを決める仕組み(議会)を作る。
STEP 3 世界せかいと対等たいとうに付つき合あえる近代国家きんだいこっかをつくる
外国と公平なルールで条約を結び直し、貿易を進めて世界に誇れる豊かな日本を目指す。

龍馬のこの提案を受け入れ、15代将軍・徳川慶喜は1867年、政治の権利を朝廷にお返しする「大政奉還」を決断しました。こうして鎌倉時代から約700年近く続いていた「武士の時代」が、大きな内戦を起こすことなく幕を閉じたのです。

31歳で散った命、そして未来へ受け継がれた夢

大政奉還が実現し、新しい日本が動き出そうとしていた矢先、悲劇が起こります。大政奉還からわずか1か月後、龍馬は京都の「近江屋」という宿で、幕府側の刺客によって暗殺されてしまったのです。享年31歳(数え年で33歳)という若さでした。

龍馬は自分が作り上げた新しい日本の夜明けを、直接自分の目で見届けることはできませんでした。しかし、身分に関係なく誰もが夢を持てる国をつくろうとした龍馬の志は、西郷隆盛や木戸孝允、そして次の世代へと受け継がれ、近代日本(明治時代)の大きな土台となったのです。

はると
はると
大戦争で勝つことじゃなくて、誰も血を流さずに話し合いで国を変えようとしたなんて本当に立派だな!志半ばで命を落としちゃったのはすごく悔しいけど、全力で駆け抜けたところがめちゃくちゃかっこいいよな!
ひまり
ひまり
ええ。自分の出世のためではなく、いつも「日本の人々の幸せ」と「国の未来」を一番に考えていたのね。今私たちが身分に関係なく自由に学校で学んだり、夢を追いかけられたりするのも、龍馬たちのおかげかもしれないわね。
朝日に向かって大海原を進む海援隊の蒸気船

まとめ

坂本龍馬は、激動の幕末において、誰よりも広い視野と自由な発想で日本を新しい時代へと導いた大ヒーローでした。

📝 今日のまとめノート
1 常識にとらわれない自由な発想!
武士の時代にピストルを持ち革ブーツを履き、身分の枠や藩のルールを越えて広い世界を見つめていた。
2 ケンカしていた薩摩と長州を仲直り!
お互いに足りない「米」と「武器」を交換させる神アイデアで「薩長同盟」を結ばせ、日本を大きく動かした。
3 日本初の会社「海援隊」と平和な国づくり!
世界との貿易で国を豊かにすることを目指し、「大政奉還」で血を流さずに新しい日本の仕組みを築いた。
🖍️ ✏️
はると
はると
龍馬のスゴさがよくわかったよ!俺もサッカーの試合でピンチのとき、龍馬みたいに広い視野で仲間をつなげて、あっと驚くパスを出せるキャプテンを目指すぞ!
ひまり
ひまり
ふふ、頼もしいわね!龍馬のように大きな夢を叶えるためには、毎日の地道な積み重ねも大切よ。まずは今日の宿題をしっかり終わらせてから、サッカーの練習に励みましょうね!
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